男児ならば勿論、例え女児であっても、信長の為に健康な吾子を産んであげたい──。
女として、また妻として、濃姫は心からそう思っているのであった。
西から射す強い日没の光を受けて、奥御殿の廊下や縁は、鮮やかな橙色(ときいろ)一色に彩られていた。
その中を、御用の為に表御殿に出向いていた老女・千代山が、腰元を一人伴ってしずしずと歩いてゆく。
すると
「───では、くれぐれもお身体をお大事になされませ」保濕精華推薦
「有り難う存じまする」
「何かありましたら、すぐにお呼び下さりませ。駆け付けます故」
「お気遣い痛み入ります。 お菜津殿、医師殿を表までお送り申せ」
「承知致しました」
濃姫の寝室から出て来る、医師と三保野、そしてお菜津の姿がその目に映った。
お菜津は周囲を気にしながら、「…こちらへ」と、何やらこそこそした様子で医師を誘(いざな)ってゆく。
千代山は反射的に、近くの太い柱に身を隠すと、遠ざかっていく彼らを細い目で見つめた。
『 かような時分に何故に薬師が…。お方様がご体調を崩されたという知らせなど、何も受けてはいないが 』
正室たる濃姫の部屋に医師が呼ばれたとあれば、奥向きにとっては一大事。
にも関わらず奥の御用を取り締まる自分に何の知らせも来ていないとは…。
これは妙だと思い、千代山は怪訝そうに眉を歪めた。
そしてサッと踵を返して、背後の腰元に目を向けると
「その方。悪いが、今お方様の部屋から出ていったあの医師の後を付け、
どのような御用でお方様の元に参られたのか、調べてみてくれぬか?」
「…え。な、なれど…」
「ぼやぼや致すな。行くのじゃ!」
「は、はいっ」
千代山に頭を垂れ、腰元は慌てて医師の後を追いかけていった。
───場は戻り、診察を終え、医師を送り出した濃姫の寝室では、
乱れた姫の着物の裾や襟元を直してやりながら、三保野が安堵の微笑を漏らしていた。
「……病やら難産やらと、色々と懸念は多ございますが、一先ず私は安心致しました」
「安心とな?」
「はい。とにもかくにも、姫様のご懐妊は紛れもない事実だったのですから。
これでもう、大方様や千代山様らに、御子のことでうるそう言われる心配もなくなりまするな」
「さぁ、どうであろう? 小言を申すのが趣味のような方々故、懐妊したら懐妊したで、また別の小言を言い出すのではないか?」
「あ、それは確かに」
濃姫と三保野は朗らかに微笑(わら)った。
「なれど、義母上様などはまだ良い方じゃ。私が気がかりなのは、殿の方です」
「信長様?」
「無事に産まれるかも分からぬ、ましてや安定期を待たずに流れる恐れのある此度の懐妊を……殿は喜んで下さるであろうか?」
姫の弱気な言葉を聞き、三保野は驚いたように目を白黒させると
「何を申されるのです!当たり前ではございませぬか」
声を上げながら、荒々しく主人の目前に控えた。
「何度も申し上げているように、姫様との御子を誰よりも望んでおられたのは殿にございます。喜んで下さらぬはすがございませぬ」
「…そうじゃな…。私もそう信じたい」
「もしも不平や不満を言おうものならば、この三保野が姫様に代わってドンと殿に抗議致します故、ご心配には及びませぬ」
私にお任せ下されと、何とも頼もしげに言う三保野を見て、濃姫は何やら救われる思いがしていた。