「そねえな心配そうな声せんで。うち、今が一番しあわせやけえ」
「しあわせ?」
「そうよぉ。……うちな、馬関の新地で芸妓やってましたの。やけど、鈍臭いからいつも粗相をして怒られてばかりで。ああ、三味線だけは得意やったわ。」
愛しさを込めて笑うその横顔は、事後避孕藥 どんな女子よりも一等美しく見える。あまりの眩しさに、チカチカとした。
「旦那様も三味線がお好きやから。うちの音は春を呼ぶ音やと、喜んでくれよって……。あの底なし沼のような見世から連れ出してくれた時から、うちには旦那様しか居らんのよ」
さしずめ、暗闇の中に差し込んだ一筋の光のような存在だったのだろう。その感覚は分かる気がした。
全てを失って、何もかもどうでも良くなったあの感覚に、手を差し伸べてくれた存在がどれだけ有難いか。
「やけえ、旦那様と毎日居れるだけでも……しあわせや。残りの時がどねえなものかは分からへんけど。桜花さんには、好い人おらんの?」
その問い掛けに、桜司郎は「えっ」と声を漏らした。ぼんやりとある顔が浮かんできたが、それを振り払う。
「……わ、私は別に。紛い物だとしても、武士としてあそこで生きられたら、それで……」
「うふふ。何や、心当たりがありそうやねぇ。ほんまはもっと聞きたいんやけど。そろそろ帰りましょ」
おうのは初めて楽しそうに笑うと、くるりと背を向けた。 家へ戻ると、高杉は既に目を覚ましていた。おうのが作り置きをしていた粥を、志真の支えで一口ずつ啜っている。
その表情は昨日見たものよりかは柔らかいことに安堵の息を吐くと、桜司郎も同じものを別室で摂った。
「桜花さん。旦那様も朝餉食べ終わったけえ、入って構わへんよ。……って、あらあら」
おうのは桜司郎を見るなり、袖を口元に手を当ててクスリと笑う。
「どうしました?」
そのように問うが、おうのは何でもないと首を横に振り、高杉の居る部屋へ行くように急かした。
促されるがままに隣の部屋へおずおずと入る。高杉は壁にもたれかかりながら、外を見ていた。
「た、高杉さん……失礼します」
桜司郎の声に反応するように、ゆっくりと振り向かれる。すると、高杉はみるみる目を丸くした。
「お……桜花、か?なして、此処に……。ほんまに、桜花……なのか?」
枝のように細い腕を畳と壁へつき、膝を立ててフラフラと立ち上がる。覚束無い足取りで一歩、また一歩と桜司郎へ向かって歩き出した。
「高杉さ、」
その姿を見た桜司郎は思わず声を詰まらせる。歩み寄るように、高杉の元へ近付いた。──ッ!」
ガクンと膝が折れて倒れ込みそうになる高杉の身体を、桜司郎がしっかりと抱き止めた。そして肩を支えながら元いた場所まで戻す。
「……情けないのう。僕はもう、こねえな体たらくじゃ」
寂しげな声色で、高杉は困ったように微笑んだ。だが、桜司郎は小さく首を振る。
「な、情けないことなんて有りません。高杉さんは、高杉さんは……いつまでも、高杉晋作なんです」
そのように言えば、高杉は驚いたような、嬉しそうな表情を浮かべた。
「驚いた、君からそねえなクサい台詞が聞けようとは。……じゃけど、悪い気はせんのう」
「全て貴方からの受け売りですよ」
「そねえなこと、言うたかのう。まあ、ええ。元気じゃったか、桜花」
あまりにも高杉の言葉は柔らかく、暖かい。まるで降り注ぐ日差しのようだった。憑き物が取れたかのように穏やかに笑うものだから、思わず緊張の糸がほろりと解ける。
「元気……です。会い、会いたかった、高杉さ……ッ」
ぽろぽろと頬を涙が伝い始めたのを見て、高杉はギョッと目を見開いた。珍しくオロオロとすると、片腕で桜司郎の後頭部を持ち、そのまま引き寄せる。肩口に顔を埋めるような形になった。
桜司郎の鼻腔を、血と懐かしい匂いが掠める。きっと背に負ぶわれた時の記憶なのだろう、更に涙腺が緩んだ。
「高杉さん、高杉さん……!」
子が母を慕うように、桜花は泣き出す。
「何じゃ何じゃ。ん?そねえに僕に会いたかったんか。言うたろ、武士たるもの涙をそう見せるなと。世話ねえ奴じゃのう」
ぽんぽんと頭を撫でながら、その頭頂部にあるものが付いているのを見付ける。それを摘み上げるなり、高杉は口角を上げた。