「あった甘味屋!」
その甘味屋が誘導されていた店で間違いないかは分からない。
もし違ったとしても一刻を争う事態かもしれない。
「邪魔するぜ! 肺癌症狀為背痛咳嗽? 病徵逐個睇 こいつはここの娘か?」
男が一か八かで飛び込んで見れば大当たり。
すぐさま中へ通され,二階の部屋に三津を運んだ。
『良かった,まだ運は尽きて無かったか。』
男はふっと笑って乱れた呼吸を整えた。
「暑気あたりですな。」
駆けつけた医者の診断に功助とトキはほっと胸をなで下ろした。
そして部屋の片隅で胡座をかき,診察の様子を眺めていた男へと体を向けた。
「ホンマにありがとうございました。何とお礼を申したら…。」
功助は畳に額を擦り付けるぐらい頭を下げた。
トキも何度もお礼の言葉を呟いていた。
『よほど大事な娘なのか。』
男は耳の後ろを雑にかきむしって,さっきより顔色の良くなった三津を横目で見た。
「大したことなくて良かったな。」
『やっぱり面と向かって礼を言われるなんざ俺の性分には合わねえな。』
男はより乱雑に耳の後ろをかくと,素っ気ない態度でそそくさと部屋を出た。
「待って下さい!お礼がまだ…お名前は?」
功助とトキも慌てて階段を駆け下り,男の行く手を阻んだ。
「娘さんに何事もなくて良かったじゃねえか。俺は先を急ぐんで。」
『先を急ぐ奴が診察まで見届けたのも可笑しな話だがな。』
矛盾だらけの自分を鼻で笑って早く帰りたいと大股になった。
逃げるように店を出ようとする男を功助たちは必死に引き止めた。
「うちのが迷惑かけといて何もなしってのは私らの気が済みません!」
トキが男の前に回り込んで何とか引き止めようとするが,男は片口を上げて笑うだけ。
「気持ちはありがてぇが生憎名乗るだけ損するのは俺なんでね。
娘さんにはよろしく言っといてくれ。」
男は後ろ手を振りながら立ち去ろうとしたが一度振り返って,
「ついでに道も覚えさせた方がいいぜ?
ここに来るまで苦労した。」
とだけ言い残した。
「行ってもた…。」
そしてやっぱり三津は道案内が出来なかったのかと苦笑した。
功助とトキが呆然と立ち尽くしていると様子を見ていた客が二人を手招いた。
「旦那,おトキさん悪い事は言わん,あの人には関わりな。
あれは壬生狼やで。」「それホンマか?名前は?」
功助はせめて名前だけでも知りたくて客に詰め寄ったが,首を横に振られてしまった。
「俺はあの男が壬生狼やって名乗って浪士と斬り合ってる所に居合わせてもただけや。
でも間違いなくあの男やったわ,それはもう楽しそうな顔で相手を斬り捨てよったんや。」
客は今思い出しても身の毛がよだつと体を震わせた。
「礼をするような相手ちゃうで。みっちゃんが無事やったのが奇跡やで?
そしたらご馳走さん。」
客は言いたい事を言うだけ言って代金を置くと店を出た。
功助とトキは顔を見合わせたまま言葉を失った。
功助はあの男に対する蔑む言葉が何だか自分の事のように悔しく思えた。
「三津を無事送り届けてくれた。それがあの人の人柄を教えてくれてるやないか。」
本当に血の通ってない人間なら見ず知らずの小娘を背負って町中を走るもんか。
「中身を知ろうとせん人は嫌やわ,ホンマに。」
トキは優しく功助の堅く握られた拳を解いてやった。
「三津もあの人がどこの誰やろうがお礼するって探し回るやろ。」
その姿を思い浮かべれば,二人のやるせなかった気持ちが徐々に和らいだ。
「あれ?随分と早いご帰宅ですね?豊玉師匠。
自慢の俳句を引っさげて島原で夜通し披露してくるかと思ったのに。」
「黙れ,その名で呼ぶな。」
土方は屯所に戻るなりまとわりつく総司に拳骨をお見舞いした。
『ちょくちょく発句帳の位置が変わってるような気がしてたのはこいつのせいか…。』
一番知られたくない趣味を一番知られたくない相手に知られてしまった。
『しかも何で句を詠みに出掛けた事まで知ってやがる。』
眉間に深くシワを刻んで睨みつけても総司は嬉しそうに笑っている。
「じゃあ何しに行ってたんですか?」
常に面白い事を探している悪ガキはにんまりと尋問を続けた。