国小野藩の藩士の子として生まれ、厳格な両親の元で育てられた。時代錯誤なまでに武士として在ることを強要され、少しでも間違えたことをすれば蔵に閉じ込められたり、を受けたりした。
父親が美しいに産ませた歳下の弟も居たが、嫡男である松原よりもっと酷い扱いを受けていた。似たような境遇だったからか、仲が良かったが、耐えきれなくなった松原は後にこっそり脱藩をする。
『兄上、私も連れてってや! 顯赫植髮 置いてかんといて!』
そのように泣き叫ぶ弟を置いていったことに罪悪感を覚えたが、生きることに必死で徐々に薄れていった。大阪で北辰心要流柔術の道場を開いたが、生徒はあまり集まらず生活に困窮したところ、新撰組の前身である壬生浪士組の募集に乗っかった。
色々な境遇を持つ男たちとの共同生活は存外に楽しく、やりがいを感じた。奇しくも新撰組も武士たれとしていたが、これを守ることで両親への義理立てをしている気にもなれる。
隊務へ邁進していたある日、一人の男を捕まえた。それが桜司郎だった。その不安げな表情が、忘れかけていた弟のそれと幾度も重なり、桜司郎を気にかけるようになる。そうしていると、今度は弟にも許されたような気持ちになれたのだ。
「……ずっと、忘れとったんやけどなァ」
松原はぽつりと呟くと、膝を抱える手に力を入れる。 何日も日の当たらない狭い部屋に閉じこもっていると、徐々に気分が鬱々とするのを感じた。食欲も失せ、差し入れられる食事に殆ど手をつけない日々が続く。
こもった様なカビの臭いを吸う度に、幼少期の記憶が頭をげる。昼も夜も無く目を瞑る度にサエの笑顔が浮かび、ミチの泣き声が頭に響いた。そして遠い空を見上げる度に、新撰組として隊務に励んだ日々が思い起こされる。
「……もう、楽になりたいなァ」
松原の視線の先には格子窓があり、その奥には青空と白い雲が流れていた。
あと一日で謹慎が解けるというところまで来ている。だが、もう元には戻れないと分かっていた。
組長としての立場も失い、兄貴分として桜司郎達に合わせる顔も無い。そして守りたかった女性と子どもにも会う事は許されない。
生きる意味が分からないと松原は乾いた笑みを浮かべた。
丁度そこへを届ける隊士がやって来る。コンコンと戸を叩く音がしたのだ。
ふと自身の顎を触ると無精髭がちくちくとしている。その時、ある事を思い付いた。
「あの、まだ誰かそこに居るんか」
そのように話しかければ、人の気配が部屋の前に戻ってくるのを感じる。
「ワシ、明日には謹慎が解けるんやけど……。髪も髭も伸び放題なんや。これで局長のところへ行くんは忍びなくてなァ。か何かは持ってへんか?」
謹慎の者に刃物を渡してはならないと云うのは、隊士であれば全員が知っていた。だが、戸の前に立つ男はニヤリと笑う。
膳を持ってきたのは、五番組に属する例の武田の手足となっていた隊士だった。奇しくもその隊士を探しに、武田が入れ替わりになる形でやってきたのである。
「……お待ちを」
武田はバレぬように声を潜めると、早足で隊の物品が色々と置いてある近くの蔵へ向かった。そしてそこから短刀を取り出す。
蔵から謹慎部屋までの距離はかなり近く、巡察やら稽古やらで人が出払う昼間は、誰にも見付からずに戻ることが出来た。
そして手にしていた短刀を戸の隙間から差し入れると、音も無く立ち去る。
「……随分と親切な人や。誰か分からへんけど、おおきに」
松原はそう呟くとそれを手に取り、鞘を抜いた。いつものように頭を丸め、髭を剃る。
懐紙を取り出して広げると、鋭利な刃先に指を滑らせた。赤い血の玉がじわじわと滲んでくる。それを筆のようにして懐紙をなぞった。
書き上がったそれを満足気に見ると、穏やかな笑みを浮かべる。そして