ある夜のことだった。
桜花は鬼切丸を片手に、壬生寺で稽古をしていた。そこへ足音がやってくる。
「桜花さん、此処にいましたか」
その声に気付いた桜花は刀を振るう腕を止め、そちらへ振り向いた。
「沖田先生。Visanne 私に何か御用ですか」
「ええ…。少し晩酌に付き合って頂こうかと思いまして」
そう言った沖田の手には小さな小瓶と猪口が握られている。既に酒の匂いがふんわりと漂っており、多少酔っている気配がした。
「お酒なんて珍しいですね。御付き合いします」
禁門の変で新撰組本隊が出動している間、毎日共に稽古をしたせいか。沖田と桜花は随分と仲良くなっていた。
恐らく桜花が同郷ではない且つ隊士では無いために、しがらみが無くて話しやすいのだろう。
桜花は刀を鞘に収めた。
「稽古中に済みません。その分…明日、みっちり稽古を付けて差し上げますからね」
沖田は冗談を言うようにニッコリと笑った。
「お、お手柔らかに…」
二人は壬生寺の階段に座る。沖田は桜花の分の猪口を差し出す。
それを見た桜花は首を横に振った。
「私はお酒飲んだこと無くて…」
沖田は驚いたような表情をすると、少し考えた後にそれを桜花の手に置く。
「これは甘酒のような物なので大丈夫ですよ。酒もほとんど飛んでいます。私もそんなに強い方では無いので…」
沖田の勧めであれば大丈夫かと桜花は頷く。それにしても、何かあったのだろうかと沖田の横顔を垣間見た。
いつものように飄々としているが、何処か寂しそうな表情である。
「どうぞ」
沖田は手酌で自分の猪口に酒を注ぐと、桜花にも傾けた。
それを受けると、その水面をじっと見詰める。月がまるで朧月のように霞んでそれに映った。
頂きます、と猪口に口を付けてこくりと飲み干す。
苦味の中にも甘さが残り、飲みやすかった。
「あ…。美味しい…」
「ふふ、それは良かった。これなら貴女も飲めるんじゃないかと思ったんですよね」
わざわざ買い求めてくれたのかと沖田の方を見る。すると、視線に気付いた沖田は優しく微笑んだ。
しかしその柔らかな目がすっと細められ、寺の入り口へ向けられる。
人影がどんどん近付いて来たが、月がその人物を照らした。
「山南さん」
沖田はその人物を認めると、表情を和らげる。
「おや、総司に桜花君。こんな夜更けに密会とは」
「み、密会だなんて」
桜花は少し顔を赤くすると、首と手を横に大きく振った。山南はその反応を見てくすくすと笑う。
「貴方もからかうと面白いですね」
「山南さん、もしお時間があればどうですか。桜花さんに私の愚痴を聞いて頂こうとしていたんです」
沖田は自分の横をぽんと叩いた。山南は笑みを浮かべると横に座る。
愚痴と言ってしまって大丈夫なのだろうかと沖田を見遣れば、それを察したのか笑顔で頷いた。
「それでは…、ご同伴に預かりましょうか」
山南はどうやら全く酒が飲めなかった。それを知ってか、沖田は酒を勧めることをしない。
「それで…どうかしたのですか。沖田先生が晩酌なんて珍しいですよね」
「ええ、まあ…。何があったという訳では有りませんが。貴女から見る今の近藤先生はどうですか」
そう問われ、直近の近藤の姿を思い出す。
恐らく戦後処理の関連だろうが、何処ぞに呼ばれては出て行き、夜遅くに酔い潰れて駕籠で帰宅する姿を、稽古帰りに何度か見た。
風に乗って、