「僕は広告関係の仕事をしているんです。これ、僕の名刺です」
「あら、もらってもいいの?名刺なんて、初めてもらったわ。会社は札幌駅の近くなのかしら。良い所に勤めていらっしゃるのね」
母は彼から名刺を受け取り、investing us stock market 完全に舞い上がっている。
社名を見ただけで良い会社なのかなんて母にわかるわけがない。
「ねぇ、そういう話はいいから、とりあえずお寿司食べようよ。私、お腹すいた」
「そうだな、食事にしよう。匠くんが買ってきてくれたお酒を皆で飲もうか」
「お父さん、僕が注ぎますよ」
「悪いねぇ、ありがとう。匠くんは、お酒強いんだってね」
「えぇ、飲んでも酔えない体質みたいで。お父さんも強いんですか?」
久我さんと父の会話は安心して聞いていられる。
思う存分、美味しい日本酒と大好物の寿司を堪能させてもらおう。
「あー、やっぱここのトロは格別だね!昔からここの寿司食べてるけど、味が衰えてないもん」
「そりゃそうでしょ。蘭が初めて彼氏を連れてくるって言うから、最高のものを作ってちょうだいってお願いしてきたんだから」
「そんなこと言ってきたの?やめてよ、恥ずかしい」
実家の向かいには、昔から馴染みの寿司屋がある。
私が子供の頃から家族で通っている寿司屋で、店主とその奥さんとは気心知れた仲だ。
「本当に美味しいですね。今度、店に食べに行ってみたいな」
「気に入ってくれて良かったわぁ。今度ぜひ一緒に行きましょうね」
「ちょっと、何でお母さんが一緒に行くのよ」
所々母の発言に突っ込みながらも、寿司を食べる手は止まらない。
久我さんも本当に気に入ってくれているようで、普段お酒を飲むときはあまり食べない彼が珍しく箸を進めていて嬉しくなった。
「で、二人の出会いは?どうやって知り合ったの?」
「お母さん、それ興味ある?普通、親がそういうこと聞く?」
「だって気になるでしょう?あなた、私たちに何も話してくれないんだから」
そもそも、言えるはずがないのだ。
出会った当初、久我さんが私の親友に恋をしていたなんて母に話したら、彼への態度が急変してしまうに違いない。
「行きつけの飲み屋が一緒だったの。それで、親しくなっていっただけ。納得してくれた?」
「そうなの?蘭、その店に通っていて良かったわね。おかげで、こんな素敵な人に出会えたんだから」
「……そうね。それは、そう思ってる」
家族の前で認めるのも恥ずかしいけれど、本当に思っているんだから仕方ない。
すると、隣にいる彼が箸を止め口を開いた。
「僕も、同じ気持ちですよ。蘭さんに出会えて、本当に良かったといつも思っています」
「……」
久我さんが、私を見つめふっと微笑む。
私、この顔に弱すぎるんだ。
見つめられるだけで、嬉しくて、涙が出そうになる。
「こんな日が来るなんて……感慨深いわ。ねぇ、お父さん」
「そうだな」
見ると、なぜか母まで泣きそうになっている。
「ちょ、何で泣きそうになってんの?どうしたの?」
「だって……蘭からお付き合いしている人の話なんて、本当に今まで聞いたことがなかったでしょう?このまま好きな人も出来ずに、仕事だけのために生きていくのかと思っていたから、こんな現実が訪れるなんて夢のようで……」
「泣かないでよ……大袈裟なんだから」
お酒のせいもあるのか、母の気は完全に緩んでしまったようだ。
こうやって母が泣いている姿を見るのは、何度目だろう。
別に、結婚の挨拶に来たわけでもないのに。
結婚の話なんて、一切出たことがないくらいなのに。
恋人を紹介しただけで泣いてしまうなんて……私はこれまでどれだけの心配を両親にかけてしまっていたのだろう。
母は、どれだけ私のことで悩んできたのだろう。
私が男性を好きになれなかったことに、気付いていたのかもしれない。
母の涙を目にして、胸がキュっと締め付けられるように痛くなった。「蘭のことを好きになってくれた匠さんには、私もお父さんも本当に感謝しているのよ。ほら、この子気が強いでしょう?生意気なことばっかり言うし、可愛いげがないから」
「私の性格はお母さん譲りだと思うけどね」
「あとは、匠さんが蘭のことをもらってくれたら、もう何の心配もないんだけど……」
母の発言を聞いた瞬間、私は無意識に咳払いをしてその発言を掻き消そうと試みた。
絶対、余計なことを言うと思っていた。
予感は的中したのだ。
「お母さん、お願いだからこれ以上余計なことは言わないで。あ、久我さん他のお酒飲む?何でも揃ってるよ。ワインも焼酎もあるし」
これはもう、無理やりにでも話題を変えるしかない。
じゃないと、変な空気になってしまう。
彼に変な気を遣わせてしまう。
そう思っていた。
「蘭さんは、誰よりも素敵な女性ですよね。確かに気は強いと思いますけど、彼女の言葉はいつも筋が通っているし、嘘がないし、何に対してもいつも真っ直ぐに向き合っていて、尊敬しているんです」
「……」
待って、不意打ち過ぎる。
いきなり隣で褒めちぎられても、反応に困ってしまう。
「何より、一緒にいると落ち着くんです。最初に出会った頃から、彼女の前では素の自分でいられたので、こんな出会いはもう二度とないと思って。どうにか自分のことを好きになってもらいたくて、とにかく僕は必死でしたね」
少し照れくさそうに話す顔。
今ここに両親がいなければ、その横顔にキスをしていたかもしれない。
だってもう、狡い。
どれだけ私を喜ばす気なのだろう。
「匠くん!本当に……娘のことをありがとう!」
どうやら、喜んだのは私だけではなかったようだ。
さっきまで泣いていた母と入れ替わるかのように、次は父が涙ぐんでいる。
本当に、涙もろい家族だ。
「匠くん、もっと飲もう!」
「お父さん、飲み過ぎじゃない?大丈夫?」
「これぐらい問題ない。蘭も、もっと飲みなさい」
娘のことを褒められて、気を良くしたのだろうか。
ここから父はお酒の力もあって饒舌になり、酔い潰れるまで延々と久我さんに絡み続けた。