「お前さぁ、簡単に言うなよ。何が楽しくて朝から自分のために弁当作らなきゃならないんだよ」
「作ってくれる彼女がいればいいのにね」
「……余計なお世話だよ」
甲斐は立ち上がり、飲んでいたブラックの缶コーヒーを一気に飲み干し、空き缶専用のゴミ箱に捨てた。
「じゃあ俺もう戻るわ」
「え、もう行 黃金期貨 くの?」
「あんまり患者さん待たせたくないから」
甲斐は、すごく患者思いの医療従事者だと思う。
悲しいことに、医療に携わる者の全てが、患者のことを最優先に考えて仕事をしているわけではない。
時には自分の都合を優先してしまう人もいる。
口うるさい患者を避け、悪口を言う人もいる。
でも甲斐は、いつだって患者に対して誠実に対応する。
どんなときでも、決して負の感情は見せない。
甲斐の笑顔には、皆が勇気づけられる。
だから甲斐のことを悪く言う患者もいない。
私は彼の仕事に対する姿勢が好きだ。
さすがに口に出して褒めるようなことはしないけど、いつも見習わないといけないと思っている。
「あ、そういえばお前、今夜暇?青柳と飯食いに行くけど、一緒に行く?」青柳幸汰も同期のメンバーの一人で、職種は臨床検査技師だ。
青柳は甲斐と仲が良く、親しくしている同期の中で唯一の既婚者でもある。
二年前に待望の男の子も誕生し、口を開けば子供の話ばかりする。
一番落ち着いていて、穏やかで、私たち同期の中では頼れる兄貴的な存在の人だ。
「ごめん、今日は遥希の帰り早いから、帰ってご飯作らないと」
「……わかった、じゃあまた今度な」
「うん、また誘って」
甲斐が立ち去った後、入れ替わりのように私にとってもう一人の親友でもある桜崎蘭が休憩室に入ってきた。
「疲れた……マジふざけんな色ボケジジィ」
「蘭、顔怖いよ。何かあったの?」
「年寄りの患者にお尻触られた。もちろんひっぱたいてやったけど」
蘭は席に座るなりお弁当を広げ、怖い顔のまま箸を進めていく。
彼女も同期の一人で、看護師として働いている。
蘭とは専門学校在学中に知り合い、学科は違ったけれど共通の友人がいたため親しくなった。
サバサバしていてかなり勝ち気な性格だけれど、裏表がないから付き合いやすい。
本音を言い合える大切な親友だ。「そういえば今ここに来る途中、甲斐とすれ違ったわ。アイツ、さっきまでここにいたの?」
「少しだけね。今日は忙しくて休憩もちゃんと取れないみたい」
「相変わらず仕事に熱心だよねー要領よく休めばいいのに」
「でも私は……甲斐のああいう所は尊敬するけどな」
「それなら、甲斐と付き合っちゃえばいいのに」
蘭が平然と投げかけた言葉を聞いて、私は思わず飲んでいたお茶を吹き出してしまった。
「ちょっと、変なこと言わないでよ……」
「だってあんたたち、仲良いじゃん」
普段の私と甲斐の様子を見たら、誰が見ても仲が良いと言うと思う。
気が合うから自然と共に時間を過ごすことが多くなる。
でもそれは、ただ単に気が合う友達だというだけ。
この友情が恋に変わることは、絶対にないと言いきれてしまう。
「知らないの?甲斐、結構人気あるみたいよ。この間患者さんが、甲斐のことイケメンだって騒いでたし」
確かに、甲斐は整った顔立ちをしている。
目は二重で、男のくせに笑うと女子よりも可愛かったりする。
ポジティブな性格のせいか、一見軽そうに見られがちだけれど、本当は何に対しても誠実で筋が通っている男だ。それなのに、甲斐には長い間恋人がいない。
一緒にこの病院で働き始めてからは、甲斐から恋人がいるなんて話は一度も聞いたことがない。
もしかしたら私や蘭には言っていないだけで、実は隠している恋人の存在がいるのだろうか。
いや、でも……甲斐は嘘をつけない性格だから、秘密の恋人がいる可能性はゼロに近いはずだ。
「甲斐ってさ、どうして彼女出来ないんだろうね。恋愛とか、興味ないのかな」
「さぁね。意外と理想が高いんじゃない?」
「あり得るね」
「それか、もしくは……」
蘭はそこまで口にして言葉を止め、上目遣いで私をじっと見つめた。
「何?」
「や、何でもない。ていうか、そんなに気になるなら、あんたが付き合ってあげなって」
「だから……何度も言わないでよ。無理に決まってるでしょ。そもそも私は甲斐と違って、フリーじゃないんだから」
そう。
私には、既に六年近く交際している恋人がいるのだ。
桐生遥希、私の二つ年下の二十五歳。
彼とは四年前から同棲している。
私は毎日ほぼ定時上がりだけれど、彼はシステムエンジニアのため、帰宅は夜遅くなることが多い。
だから一緒に暮らしていても、ゆっくり話せる時間はなかなか取れない。