桜司郎は土方の言葉に頷くと、蔵へ走って向かい、新たな盥を手に取った。
そしてそれを手に離れへ向かう。
丁度伊東らは玄関へ踏み入れようとしていたため、その背に向かって声を掛けた。
「もし。新たな水を用意しますので座ってお待ち頂けますか」
すると、肉毒桿菌 伊東は振り向く。
「ああ、先程の…。有難う、そうさせて頂きますよ」
桜司郎は盥を玄関に置くと、急いで井戸へ行き桶へ水を組んだ。
それを担ぐと戻り、盥へ水をザバりと移す。そして式台に腰掛ける伊東の足元へ置いた。
「助かります。貴殿は…お小姓さんですか?」
伊東は草鞋を脱ぐと、それに足を付けて洗う。透明な水がじわりと濁っていった。
「いえ、私は平隊士の鈴木桜司郎と申します」
「そうですか。座りながらの挨拶で申し訳無いですね。ですか?」
足を洗う所作の一つ一つから気品と育ちの良さが滲み出ている。まさに武士として育てられたのだろうと感じる物だった。
「えっと……、江戸です」
「それはそれは。私は常磐国ですが、何処かで薄い縁があったのやも知れませんね」
伊東は置いてあった手拭いで足を拭くと、式台の上に上がる。そして穏やかな笑みを桜司郎へ向けた。
「貴殿は何方の道場で学ばれたのでしょうか?私は最終的に深川で伊東道場を継ぎましたが、その前には色々巡ったものです」
「そういうのは行っておらず…。とお見受けしますが……。是非、後日手合わせを願いたいですね」
「兄上、本気か?このヒョロヒョロに兄上の相手が務まると?まるでオンナみてぇじゃねえか。刀、持っただけで落としちまいそうだ」
黙って足を洗っていた三木が顔を上げ、るように桜司郎を見た。明らかな挑発だったが、桜司郎はそれに乗らずにただ一瞥する。
外見だけで弱いと決め付けるのは、その者の剣の腕が大したことないということだ。真の猛者であれば、大方の力量は見て分かるはず。
相手にするだけ労力の無駄だと思った。
「三郎、お黙りなさい。相手の力量を測り間違えるのは愚か者のすることですよ」
「だって、兄上…!」
「言い訳は不要です。…愚弟が申し訳ありません。お許し頂けますか」
伊東はその場に座ると、腿に手を付き小さく頭を下げる。その行動に桜司郎は慌てた。
「だ、大丈夫です。気にしてはいません」
「…三木さんよ、安い喧嘩を売るのは褒められたもんじゃねえな」
ふと玄関先から声が聞こえる。振り向けば、そこには旅装束のままの永倉が立っていた。よ、と無骨な手が桜司郎の頭を撫でる。
「此奴ァ強いぞ。神道無念流免許皆伝の俺ですら、一本取られたからな」
その言葉に伊東は目を見開き、驚きの色を隠せずにいた。
「私闘は御法度だ。だが、此処にゃ色んな出自の人間がいるんでな。人のことを馬鹿にすると、闇討ちにあっても文句は言えねえぜ。どうも血気盛んな奴が多いからな」
「……フン」
曲がったことが嫌いな永倉はそう言ってのけると、懐から矢立を取り出し、伊東へ差し出す。
「これ、俺の荷物に紛れ込んでいたから返すぜ」
「え、ええ。済みません」
行くぞ、と永倉は桜司郎へ声を掛けた。桜司郎は軽く頭を下げるとその背を追い掛ける。