もしこれで靡けばそれはそれで良いし、ダメでも交渉の余地があるという姿勢を見せることが出来た。問題はこれを元にして長安から抜け出してしまう人物がいるかも知れないことだ。あちこちに派遣するならば、人物を多数巡らせなければならない。
また内容が内容だけに、下手な人物を出すわけにもいかない。官職が低くてもやはり適任ではない。安全な奴らだけを使うでは全く人材が足らないのだ。さりとて捨てるには確かに惜しい提案だった。
「賈翅、どうか」
やってはみたいが上手 安全期 く行くかの判断が非常に難しい、しくじった際の欠点も見えづらい。ところが一部でも成功することがあれば見返りが多大、これをやらずして大事をなしとげることも出来ない。
「さすればまず河内太守王匡殿を説得されることに注力なさってはいかがでしょうか。執金吾の胡毋班殿は王匡殿の娘婿でありますれば、これに適任と愚考致します」
きらびやかな軍装をしている執金吾、これは都の治安を預かる官職であり、警視総監のようなもの。若者に大人気の官服で、かつての皇帝ですら若い時には「職につくなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」などと言葉を残している。
王匡にとっては誇らしい娘婿だ、確かにこれ以上の人材はいないと頷ける。
「良かろう。だが大鴻臚殿も意中の人物があり進言したのであろう、それに少府殿らも乗り気な様子。まずは三名に手本を示していただくとしようではないか」 長安に家族を残して単身で行かされるのは目に見えているが、それでもどこかへ逃げるならば後への見せしめに使える。これにもう二人を加えて実行するよう賈翅に調整手配をさせる。これにて朝議は終了と場を去った。すすすと傍により賈翅が続ける。
「無事に説得されればよいのですが、やはり幾つかのことが考えられます」
歩きながら懸念があるとの部分を指摘する。董卓とて解っているが、それは織り込み済みではないかとの表情を見せた。
「無論逃亡する者もおりましょうが、それだけではなく、己の道を潔白だと示し使者を殺害するものとておりましょう」
ピタッと足を止めて賈翅を見詰める。それは考えなかった、古来より使者は丁重にもてなし帰還させるものと思っていたからだ。たとえそれが戦陣であっても話だけは聞く、そういう習わしがあるのは異民族も同じだった。人は理性を持っている、一人では狂い失ってしまうことがあっても、複数居るならば正気の者だっている。
ところがあまりに多数になると今度はまた理性を失うのが集団心理というのもなので、二人から十数人までの間が適性範囲とされることが多かった。狂人がいくら集まろうと狂人であることにかわりはないが。
「そうであれば最大限に利用するんだ」
「畏まりました」
一切任せると賈翅を信頼して枷を設けない、人を使うことが上手だった。もし、もしだが、董卓にもう少しだけ人の心があり残虐性が弱ければ、案外うまくやれていたのではないだろうか。他者に無情でなければ生き残れなかった厳しい地域で生まれ育った、それが良くも悪くも董卓と言う人物を形作っている。
小黄の山要屋敷で荀彧の姿をみた島介は、喪服を着ているのを見て尋ねた。
「どうしたんだ荀彧」
「叔父の荀爽が逝去されました。伝え聞くところによれば、病に倒れそのまま帰らぬ人となったと」
董卓に殺されたのではなく、自然死だったのならば仕方ない、それが寿命だったのだろう。
「そうか。島介が弔意を示させて貰う。俺も幾度か触れた人物だ、一両日は喪に服すことにする」
子に荀がいるが、こちらは官を履くつもりは全くなく、学問に全てを捧げていた。孫の荀も然り。
「……時に我が君、訃報を持ってきた郎党によりますれば、胡軫軍団が潁川へ入り版図を拡げているとのこと。願わくば一族の避難先として小黄を使わせていただくことをお許し願えるでしょうか?」
「今さら何を言ってるんだ、当たり前だろ。早い方がいい、直ぐにでも希望者を呼び寄せるんだ。あ、いや、喪に服すんだったな……」